小松石
 

小松石の紹介

 
  Komatsu-ishi  

神奈川県真鶴町でしか採る事のできない本小松石

本小松石(ほんこまついし)とは、神奈川県足柄下郡真鶴町、岩 (真鶴町)地区で産出される安山岩です。香川県の庵治石(あじいし)、岡山県の万成石(まんなりいし)と並んで最高級品のひとつとされ、日本の銘石としてブランド化されています。皇室をはじめ、徳川家や北条家、源頼朝など歴史上の人物の墓石にも使用され、古くから親しまれており、近年は採石場の確保が難しいこと、量産体制を確保する事ができないことなどから、希少価値が高まっています。

自然が作り上げた宝物 庵治石

小松石の特徴

小松石の特徴

輝石安山岩に分類される安山岩の一種です。安山岩は地表に流れ出したマグマが急に固まった物なので、その時すでに個々の形に分裂しています。 小松石は箱根火山が噴出した溶岩で、新小松石・本小松石とに大別されます。

本小松石は目が細かく、研磨すると独特の灰色から淡灰緑色の密な石面が現れ安山岩の中では最高級品として全国の安山岩の代名詞となっています。

掘り出された状態では内部の色とは異なった茶褐色の皮に包まれており掘り出される層によっても密度も色もすべて違っています。近年では量産できなくなっており、それだけに高級な物になるとわが国でも最高位にランクされる石材として希少価値を高めています。

その価値は香川県の庵治石と同等かそれ以上との呼び声も高く、東の本小松石、西の庵治石と言われるほど有名です。  

石質は硬く、耐久性、耐火性に優れており、磨きによって表出するきめ細かな石肌、独特な色味と希少性などが特徴であり、わずかに緑がかった灰色が最上級とされています。

本小松石は光にあわせて表情が変わり、屋外では太陽光との調和、屋内においては人工の光を受けとめ、見る者の心を落ちつかせます。時を経ることによって味が出てくる石。美しく風化し、生きている石。本小松石はまさしく生きている石と言えるでしょう。

小松石の歴史

小松石の歴史

「小松石」の名前の由来は、真鶴町に聳え立つ「小松山」からきております。小松山から取れる石材から小松石と呼ばれるようになり、今日では真鶴以外の産地の石にもその名がつけられることから真鶴産の石は特に「本小松石」と呼んでいます。

真鶴の石材業は、平安末期の保元の乱(1156年)頃に土屋格衛によって始められたと「石工先祖の碑」(真鶴町指定文化財)に記されています。 小松石が歴史に登場するのは鎌倉時代のことです。この頃はまだ、「伊豆石」「相州石」と言われていました。

源頼朝が鎌倉に幕府を開いて(1192年)以来、都市づくりや社寺の造営に伊豆石が用いられ、後北条氏の関東支配後、小田原城をはじめ城郭建築が盛んになり、石工の技術も急速に進歩しました。 真鶴が石材の産地として有名になったのは、徳川家康が江戸幕府を開いた頃(1603年)です。石屋善衛門を関東石匠棟梁に任命し江戸城の石垣を築きました 江戸時代の300年間、江戸幕府は石材供給のため、石奉行を置き官営採石石場「御用丁場」と呼ばれ、徳川御三家(紀州、尾張、水戸)及び松平家、黒田家などが真鶴の各所に丁場(採石場)を開いて石材を海路にて江戸に送りました。

明治以後も相州小松は繁栄をつづけ大正天皇墓稜、昭和天皇武蔵野稜の奉建までに及びました。

小松石の見分け方

小松石の見分け方

本小松石特有の、ナデ(石の模様の流れ)や色見をしっかりと見極め、年月と共に変化していく石の表情の特徴を予測し、また墓石に使う場合は棹台、上台、中台を組み合わせるので、その3つをしっかりと色合わせをする必要があります。 小松石は時と共に美しく風化(変化)していきます。柔らかなあたたかみのある光沢を発し、月日を重ねると味わい深く増す、日本人の心にしみる「ワビ」「サビ」の石材です。 原石は茶色、研磨することにより石の内部は淡灰緑、アヅキ、灰色の3種類の色に大別され、帯状の縞模様や黄金色が浮いているものもあります。 また、墓石材以外にも自然石としても使用され、形のよいものは庭石や記念碑にもなります。 石の表面を緑色に着色(加工)し、最上の小松石として販売する業者もいると聞きますので、信頼のおける石材店でご購入ください。